猫とお別れした

2025年4月17日午前1:30頃、実家の猫が静かに息を引き取った。その日は実家に泊まっており、猫の寝床のすぐ横に布団を敷いて様子を見ていたので、最期までそばにいることができた。

前回の記事を投稿してから5日経つ。あのときは気持ちのやり場がなくて文章を書いた(読んでくれた方ありがとうございます)。その後も猫の様子を見るために2回ほど実家を訪れた。そうする中で自分の中で心の整理がついたのか、落ち着いて看取ることができたと思う。

ベランダのプランターで咲いている花を摘んで遺体に添え、先住猫のときもお世話になったペット霊園に合同葬を依頼し引き取ってもらった。そういえば先住猫が旅立ったのもこのくらいの時期だった。近いうちに2匹に花を手向けに行きたい。

猫の終末期

3日前のこと。2泊3日の旅行に出かけたばかりのタイミングで母からメールが来た。実家の猫の容態がおぼしくなく、早めに顔を見に来てほしいということだった。旅行から帰ってきたらすぐに会いに行くと返信し、不安な気持ちを抑えながら旅行をなるべく楽しみ、東京に戻った。

そして今日、半年ぶりに実家の猫と対面した。腹部の動きでまだ呼吸していることを確認し、一安心した。猫はペット用の寝床の中で奥に顔を向けてうずくまっていた。もともとやせ細っていた体はさらに細くなっている。もう長くないことを改めて実感し、声を上げて涙を流した。寝床の周りに敷かれたペットシーツが私の涙を受け止めていた。

嗚咽する私に気づいたのか、猫はヨタヨタとした動きで寝床から出て私に近づき、頭を私の膝にすりつけてゆっくりと横になった。骨ばった顔や体をなでると、以前のように目を細めて気持ちよさそうにしていた。しかし、もう喉を鳴らすことはできなくなっていた。喉に手を当てると震えてはいるが、ゴロゴロという音を出せるほどの強さはなかった。そのことに気づいた瞬間、また涙が溢れた。

涙がようやく落ち着き、猫も寝床に戻ったので近くのソファに座る。表面はかつて猫がつけた引っかき傷でボロボロだ。半年前まではこのソファに人間が座るやいなや猫がソファに飛び乗ってきて、ブラッシングをせがんできたものだった。今ではもう半径50cm程度の距離しか移動できず、当然ジャンプもできない。もっと頻繁に会いに行けばよかった。後悔先に立たずとはよく言ったものである。

その後も4時間ほど猫のそばで過ごした。猫は時々寝床から出て少し水を飲んだり、私のブラッシングを受けたりしていた。母の話ではもう何も食べないということだったが、試しに液状のエサを差し出したところ、半分ほど食べた。以前に私がよくあげていたことを覚えていてくれたのだろうか。そうであることを願いながら実家をあとにした。

飼い猫の終末期を経験するのはこれで2度目になる。8年前に旅立ってしまった猫も、今実家に暮らしている猫も、人生の半分以上を一緒に過ごした存在だ。残された時間がどの程度あるかはわからないが、なるべく苦しむことなく寿命を全うしてほしいと思う。